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夷城跡(えびすじょうあと)

夷城跡(えびすじょうあと)

夷城跡(えびすじょうあと)は、新城市上平井に残る城跡で、派手な復元施設があるタイプではないものの、「この地形に城を置いた理由」を想像しながら歩ける歴史スポットです。**新城市指定史跡(1958年/昭和33年4月1日指定)**でもあり、地域の歴史の奥行きを感じられます。

城跡は、豊川の段丘上を北から南へ延びる丘陵の先端部に位置します。現在は中央を豊川用水が東西に横断しており、北側は県道整備や圃場整備などで削平が進み、往時の原形は残りにくい状況。一方で南側は、民家より高い位置にある斜面に囲まれた高台が畑地として利用されていて、「ここが要所だったのだろうな」と地形から雰囲気をつかめる場所になっています。

立地は標高80m付近、比高差は約10m。規模は東西約120m×南北約150mの範囲と推定されています。築城年代は不明ですが、城主としては奥平土佐守 定雄(おくだいら さえもり さだかつ)が知られ、また1583年(天正11年)に新城城主・奥平信昌の四男・忠明が生まれた場所とも伝わります。呼び名も複数あり、夷ヶ谷城/夷貝津城/円の平城などの別名が残っているのも、土地の記憶の深さを感じさせます。

歴史の背景としては、奥平定雄が作手地域から新城地域へ進出していく動きの中で、この城が築かれた可能性が語られています。位置的にも、大谷城から南西へ約700mほどの近さにあり、大谷城が16世紀前半頃に役割を終えたと考えられることから、その周辺で新たに拠点を構えた――そんな“勢力の移り変わり”を読み取れるのが、この一帯の城跡巡りの面白さです。

観光として訪れるなら、見どころは「遺構」よりも「地形」と「物語」。用水路や整備で風景が変わっている部分もありますが、だからこそ現在の暮らしの中に歴史が重なっている感覚があります。散策する際は、畑地や民家も近いのでマナーを守りつつ、歩きやすい靴で“短時間の歴史散歩”として楽しむのがおすすめです。

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