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夜泣石古墳群(よなきいしこふんぐん)

種別 新城市指定史跡
員数 2基
指定年月日 昭和33年4月1日
所在地 新城市富岡字大原 地内

説明

夜泣石古墳の呼称は、ある民話に基づいています。

それは、「昔、この富岡の大原の地のほとりに、都の戦いから逃れてきた高貴な方と噂される婦人とその子どもが住んでいました。ある日、婦人は子どもを寝かせて、川に洗濯に行きました。すると、そこに敵方の追手が現れて、子どもをさらってしまいました。子どもの泣き声に気づいた婦人は、後を追いかけましたが、この古墳の場所まできた時、追手の者がその子どもを刺殺してしまいました。わが子を殺された婦人は、その場で7日7夜泣き崩れて、とうとう石になってしまったということです。それから、夜になるとその石が悲しそうに泣くのだそうです。夜泣石古墳(大原1号墳)

そして、子どもが夜に泣いて困る時には、この石にお願いをすると不思議と泣きやむといわれています。

また、子どもが夜泣きをしたら、この付近の土を持ち帰って枕元に置いておくと、子どもが夜泣きをしなくなるという」などの伝説です。

もともとは、この周辺地には10基ほどの古墳があったとされ、大原古墳群と呼んでいました。その大原1号墳が、この夜泣き石古墳と呼ばれています。さらに、その南側(東名高速道路側)は、2号墳であり、この2基が良好な状態で現存しています。

3~5号墳の古墳は、昭和32年の開墾時に破壊され、現在は墳丘を伺い知ることはできません。また、開墾前は、このあたりは密林地帯であったそうです。

古墳が破壊された際には、遺物も併せて出土しました。ここから、勾玉や管玉、須恵器の高杯、はそう、平瓶や直刀、つば、轡などが見つかっています。

この古墳群の時期は、古墳時代後期とされています。

最後に、大正15年発行の『八名郡誌』では、「大原に長者の小糖塚というものと、その付近に無名なものが・・・」という記述のみが見受けられ、夜泣石古墳と呼ぶようなったのは、ごく最近のことと考えられます。