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桜淵公園。

桜の名所

 新城市のほぼ中央にある桜淵公園は、天竜・奥三河国定公園の南玄関で「三河の嵐山」といわれています。 その名の示すとおり、桜と淵をもつ県下屈指の景勝地で、春は桜が清流の両岸に爛漫と咲き乱れ、 夏の緑、秋の紅葉が調和して、四季それぞれの風情を満喫させてくれます。

 桜まつりは、毎年3月下旬の山開きにオープンし、4月中旬まで開催され、大勢の花見客で賑わいます。

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新城市設楽原歴史資料館。

歴史の分岐点の戦【長篠・設楽原の合戦】

 天正3年(1575)新城市の地で戦国時代の流れを大きく変える戦いが行なわれました。 世に名高い【長篠・設楽原の戦い】です。
 前哨戦となった長篠城の攻防、柵をはさみ火縄銃と騎馬の戦いとなった設楽原。この戦いを境に して織田信長は天下統一へ、そして武田勝頼は滅亡への一歩を踏み出すことになりました。

 今後の戦のスタイルを鉄砲へと変えた歴史的戦いの資料館です。

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長篠城址史跡保存館。

血染めの陣太鼓

 武田信玄の跡をついだ勝頼は、天正3年(1575)5月,1万5千の軍を率いて長篠城を囲んだ。 城主奥平定昌(後の信昌)は21歳、五百の城兵と共によくこれを防ぎ、鳥居強右衛門の働きもあって、 織田・徳川の援軍三万八千は設楽原に進撃し、連吾川にそって陣地を築き、武田軍の進撃を待った。

 日本最強を誇る武田軍の騎馬隊の壮絶な突入も、連合軍が放つ三千挺の鉄砲の前に敗れ、多数の名将勇士を失った。 この戦いによって武田氏は没落し小田・徳川の勢力は絶対的なものになった。まさに関ヶ原・小牧長久手の戦いと共に、 日本史上重大な意味を持つ戦いであった。

血染めの陣太鼓が保存館の展示品である。
長篠ろう城の時に使った陣太鼓。当時の血がついている。奥平家第一の家宝であった。

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ご予約・お問い合せは0536-22-1234

その他の周辺施設

新城総合公園イメージ新城総合公園
新城総合公園は、緑豊かな新城市郊外にあり、現在までに野球場、テニスコート、陸上競技場、競技場、弓道場、展望台等が整備されています。夏には避暑地も兼ねて、たくさんの人が訪れます。合宿等に利用の祭には、当ホテルが便利です。
新城観光ホテル